まだ完全にファンじゃないけど気になってる女優さんリスト。
一応書いておく。
- 小川紗良さん(すでにもうファンやってる感じだけども
- 堀春菜さん
- 芋生悠さん
- 森田想さん(まだご本人を直接拝見してない
こんなところかな。
日本語圏に大量にフェイクニュースがやってくる日、漫画村を通信規制対象にした今回の事例が使われて我々は通信の自由を失うだろう。(ノストラダムス風の予言w
2chまとめとかでフェイクニュースと、ほぼイコールのモノが今の日本にもあるけども。
上記のリンク先のようなフェイクニュース専門業者が英語圏の規制強化後に生き残りのため、多言語化する可能性は高いと思っている。
フェイクニュース側の収益を考えると人口が多い言語が良い、となると中国語なのかもしれないが、そもそもあちらの国はグレートな通信規制がバシバシとキマる可能性が高いので、他に人口が多い国となると日本語は選択肢に入るだろう。
TwitterやFacebookとかのSNS各社も英語圏でのフェイクニュース問題は発生と同時に早急に対策に取り組むだろうが、日本語フェイクニュースへの対応は後手に回るか放置されるかのいずれかだろうとも思う。
そうなるとなぁ、結局のところ日本は国による通信規制を実行せざるを得ないタイミングがやってきてしまう悪寒しかない。
tech.nikkeibp.co.jp
先日に漫画村の通信規制をやっちまったわけですが、まぁ、これを先行事例としてフェイクニュース系の通信規制をやっちまうと思う。
加えて「社会混乱の抑制のため」という大義名分もあることですし多くの人たちは残念ながら、それらの通信規制を許容すると思われる。
結局、俺たちは中国のやり方にジワジワと近づいて行ってしまうのだろうか。
モノマネ芸人さんが「苦情が来るんです!」って苦情が来てなくても言う、とってもお得なビジネス上の理由の話。
この記事を見ての話ですけども。
www.sanspo.com
この芸人さんには実際に苦情が来てるのかもしれないけど、モノマネ芸人さんって、この手の「苦情が来るんです!」って手法を使う人がよくいる。
苦情が来てなくても「苦情が来ます!」ってアピールする芸人さんが存在する、ってのは知っておいたほうが良いです。
理由は単純。
例えば、A芸人さんがX芸能人さんのモノマネをしてるとして。
A芸人さんが「X芸能人さんのファンの方から苦情が来るんです!」と言えば以下のメリットがあります。
- X芸能人さんのファンに対して「ちょっとモノマネしたくらいで苦情を言う面倒な奴ら」というマイナスイメージを世間に与えられる。
- 実際に酷いモノマネをA芸人さんが多少やっても、X芸能人さんのファンが抗議をしにくくなる。
- 加えてX芸能人さんが「不快なモノマネをされた」と感じても抗議しにくくなる。
要するに「苦情が来ます!」と大々的に先手を打ってアピールしておくと、後々に色々とメリットが生じるんですよね。
なので、数ヶ月に1件くらいしか苦情が来てなくても「いっぱい苦情が来るんです!」とか盛ったり。
でも、世の中には誠実な芸人さんもいらっしゃるんですけどもね。
苦情が来てても「苦情が来るんです!」ってアピールしない芸人さんもいらっしゃるわけです。
「ファンから苦情を言われるのは当然」と飲み込んでらっしゃるわけですね、そういう芸人さんは。
どっちの芸人さんが長く生き残るのかは結果を見るしかないんですけどもね〜。
kawangoさんの言いたい事がニュアンス的に理解できるけど、そういう時代では無くなったとも、俺は理解してる。
あー、わかる、わかるんだけどさぁ、っていう。
kawango.hatenablog.com
ここで補足すると、そもそもネットを公共の場として発言に責任を求める風潮をぼくは嫌悪している。だったら現実と変わらないというか、発言のログが残るし、だれからもアクセスできるから、現実以下の公共の場ということになる。立場あるひとは基本、あたりさわりのないことしかネットで発言できない。
— kawango2525 (@nkawa2525) 2018年4月7日
昔のWebでどっぷり浸かって使い倒してた人らですら、その感覚が思い出せるかどうか、ちょっと難しい「あの」感覚。
私個人としては「あー、そうだったな」と久々に思い出した感覚ではあって。
昔のWeb、一般人の進出してる領域(不適切な表現に思えるが、そういう表現しかできない話)が極端に狭くて、何らかの興味やら趣味やらがある人が使っている領域が恐ろしく広かった時代のWebの時。
誰もが他人の発言が「過去ログ」側へ移ったら放置してるというか、自分自身すら何を書いたか思い出せないような感覚でやってた時代。
他人が変な発言を書いてても「Webにテキトーに書いてた事だろ?ほっとけや(鼻ホジ」みたいな感じの時代。
kawangoさんの言いたい事はその感覚だった頃、その状況の話だよなぁと。
個人が書いた内容も「Webに書いてた事」という事で現実の責任は「とりあえず置いておいて」となってた感じの空気というか。
例えるなら何と言うか「会社で上司の悪口を言ったらクビ」だけど「業務後に飲み屋で上司の悪口を言ってるのは、あるあるだからしょうがねぇな」みたいな分け方があった時代よね。
Webに書いた事が「業務後の飲み屋の愚痴」扱い程度であったというか。
例えるのも難しいので、こんな感じで例えちゃったけども。
まぁでも、その時代の時はそれはそれで「現実から隠れて」やってたわけですけども。
Webが実質的に完全に隠れ家だったのもあるけど。
それに一般人じゃない人ら、の領域(重ねて言うが、不適切な表現に思えるが、そういう表現しかできない話)が広くて、そこで燃えてても現実社会には影響がなかった感じ、みたいな。
ちょっとあの頃は上手く行きすぎてたんだろうな、と今となっては思う。
kawangoさんが「今」に抗って過去のそれらを取り戻すのか、新しく作り出したい、のか、それは置いておいても。
あの感覚が「無責任」であったか、というと、そりゃ「無責任」だったわけだろうけど、全て「Webに書かれてる事は所詮ネタ」と扱ったようなあの空気感が今後に一般的になり得るのか、と言われると私は難しいとも思う。
若い人たちはそのあたりを「裏アカ」って形で上手く、感情のガス抜きをしてるよな、とか思ったりする。
今の時代のWebの使い方としては、妥協策としてはとても上手くやってると思う。
なので個人的には、kawangoさんも若い人を見習って「裏アカ」で妥協っていう形でも良いんじゃないかなとか思うけどなぁ。どうなんだろ。
俺たちも年を取った。だから、若い人にそろそろ倣っても良いかもしれない、という意味でも。
婚活中の男だけど、自分の年収は女性に対して積極的に開示したほうが良いよ。
これ読んで「婚活を勘違いしてる男性がいるんだなぁ」と思った。
togetter.com
婚活なんて「結婚を前提にお会いしましょう」なんだから、生活の質に直接関係する年収の開示は重要ですよ。
むしろ女性に聞かれる前に開示したほうが良いと思うし。
年収を聞いてくる女性が非礼、だと思ってるほうがズレてる。
常識的な女性からすれば最も聞きにくい質問が「あなたの年収いくらっすか?」なわけで。
とっとと開示して、金銭感覚が同水準なのか確認するのも男性側には重要。
ついでに女性側の年収も聞けば良いんです。そしたらその女性の頭が良い人なのか悪い人なのかも分かりますし。
「年収を聞いてくる女性は非礼」と決めつけるのは、自分の安いプライドを守ろうとしてるようにも見えてカッコ悪いよ。
年収を開示した上で「もう一度お会いしましょ〜」って言ってもらえるかどうか、が男性側の勝負どころでもあるし。
父よ、さらば。
知り合いとか、他の方にも父の事は伝えてましたが、いろいろありがとうございました。
なんとなく文章にしたいので書く。
月曜日に父が亡くなりました。
ほぼ一年前に脳梗塞で倒れて、実はその時に危篤状態になっていたので、そういう意味では突然逝かずに1年頑張ってくれた、という感覚のほうが私には強くあります。
この1年の間に他の臓器でも疾患が発生して入院、安定したので介護施設へ再度移動、また入院、という繰り返しが起きていたので、脳梗塞で機能停止した箇所の影響をじわじわと受けて臓器が順次停止へ向かってるのかもしれないという予感はありました。
私はそういう意味では「人体」をメカニカルなネットワークで保持されているシステムとして捉えていて、突然の出来事ではあったけど前兆はあったなと思ってはいます。
ただ、その日が来るのは他の臓器も停止してからかな、と思っていた。
なので「ちょっと早いな」という気持ちはあります。
最後に会った2月に、介護施設の窓の外を飛んできたスーパーの白いビニール袋が近所の木の枝に引っかかったのを見て父と笑いあったのが最後でした。
俺「ビニール、ひっかかったな笑」
父「ふふふ。へっへっへっ笑」
みたいな。
その時に
「こんな感じで風が強いし今はまだ寒いから、桜が咲いたら近所の公園に散歩してみようか」と言ったのですが、桜が咲く前に逝ってしまいました。
父が旅立った水曜日は「桜が咲くのはまだまだ先だったから気にするな」とでも言いたげな、3月には珍しい大雪の日であった。
朝起きて窓の外を見たときは何も降ってなかったのに、準備を終えて葬儀会館に向かおうとドアを開けて外を見たら雪がバサバサ降っていて「なんだこれは(笑)」と思わず笑うくらいに。
父が眠る部屋に着いた時にも「なんだこの雪は(笑)」と父に話すくらいに、笑っちゃうくらい降っていて。
まぁ、あれだ、桜はまだだったが、雪の華を見た、って事にしよう。って事なんだろうけど。
父はそもそも、他人よりも自分の自由を選ぶ人であった。
だからか私が何かやってる事に興味は持ってくれるが、これはダメ、とは言わない人であった。
それに気づいたのは俺が大学生になってからだった。
思ったよりも周りの人らは親から「これはダメ、あれはダメ」と言われてるんだな、と気づいた事があったから。
よくよく考えてみれば祖父も自由であったし、私もそれを受け継いていて、俺が転職で東京へ行くわ、という時も「あっそー、面白そうやな東京」って感じだった。
俺が車をはじめとする機械類が好きなのは間違いなく父の影響であるし、大学生の時に生まれて初めて買ったPCがブラウン管じゃなくて当時高価だったTFT液晶だったのも父が「え?液晶のほうが面白そうやん。お金出すからこっちにしよ」と言ったからだった。
結局、それのおかげで今の仕事に就く道筋が出来たようなもんだ。
花が好きなのも、父が雑ながらも鉢植えに花を植えてたからだったかもしれん。
俺が可愛い女の子が大好きなのも父から受け継いだ遺伝子の影響だろう。
そもそも、好きな女の子の好みが一緒だったんだよなぁ。
俺はずっと石原さとみヲタやってたけど父には何も話してなくて。
そしたらある日、どうやら父はさとみちゃんが好きなようだ、と思われる行動を見つけ(なんか雑誌のページ切り抜きとか部屋に置いてあったんだと思う)。
さとみちゃんのサイン入りカレンダー、俺は複数本持ってるんで、ってプレゼントしたら「え!なにそれすごい!」みたいな感じで部屋に飾ってたのだった。
父「なんでこんなの持ってるの?」
俺「めっちゃ前からさとみちゃんのファンなんだよ。。。」
父「w」
父に「さとみちゃんと一緒に写真撮ったりした事あるよ〜」って写真見せたら「ぐぬぬ。。。」みたいな反応だった。
そしたら父がN'sあおいの再放送のテレビを携帯で撮ったのを「俺はこんなの持ってる!」って俺に見せてきてw
なにしとんねんwwwwそれももう数年前の話だけど。
最後まで自由であったし、他人に迷惑をさしてかけずに自由のままで逝った。
送り出す日、棺に折り鶴を折って入れるのだ、と言われて鶴を折ったけども、紙飛行機も折って入れた。
そっちのほうが父らしい。鶴よりも飛行機だろう、父が旅立つ時に選ぶのは。
父よ、さらば。
またお会いしましょう。
オーディションの時に「どこで落ちたか」が重要、という話。
ここに書く話は以前から思ってたことな上にプロの人も同じような事を言ってた話。
俳優さんもアーティストさんも共通してる話なので。
先に結論から簡単に言うと。
- 書類審査やデモ音源の段階で落ちる。
- 最終審査で落ちる。
この2つは「気にしなくて良い」という話。
だが、
- 書類審査やデモ音源は通過したが、最終審査の前で落ちる。
こっちは気にしないとダメ。
順に説明する。
書類審査やデモ音源の段階で落ちる。
これは2つが考えられる。
- 単純に実力も魅力もない→基礎からやり直し
- 事務所やレコード会社等の企画側が「今回」求めるモノと違う→むしろ落ちたほうが良い
面接にすら進まないなら気にする必要は全くない。
自分を磨けば良いだけの話。
仮に実力もあるはずなのに落ちた、ならば、ビジネスとして欲しいと思ってるイメージと違うから、というだけなので次を探せば良いだけ。
気にするだけ無駄。
最終審査で落ちる。
これ、すっごいショックを受ける人とかいるんだけど。
全く問題ない。
これはもう完全に「今回」求めるモノと違うなぁ、という単純に採用者側の都合なので。
実力がなければ最後まで残れないので、残ってればOKなのです。
気にする必要が全くない。手を抜かずに努力を続ければそのうち通過できるようになる。
書類審査やデモ音源は通過したが、最終審査の前で落ちる。
一番問題なのはこれ。
応募した書類やデモ音源から「こういう人が来るかも」と採用側がイメージして面接へ進めるわけです。
ところが、その次の段階とか最終前で落ちるって事は「イメージした人と違う!」って事になってるわけです。
このパターンの人、何度やってもダメなんです。
早く修正しないとまずいやつです。
まず、書類がまずいかもしれません。写真がまずいかもしれません。
デモ音源の歌と面接時の歌にかなりの剥離があるのかもしれません。
ベストなのは、書類やら写真やらデモ音源と比較して「あぁ実際に見てみると意外と良いね」と思わせられるか?
なのですよね。これが出来ないと絶対落ちるというか。
いわゆる「事前情報を盛りすぎて嘘つきな人が来たと思われてる」ってやつです。
あとまぁ、未成年で多いのは「親との関係が悪い」みたいな話をしちゃう人ですかね。
採る側の気持ちになってみてください。親御さんと揉めながら仕事するのなんて嫌でっせ誰でも。
ちゃんと説得して、円満に応援してもらえる状態で行きなされ。
他、タレントさんとか女優さんのオーディションでよくあるのが。
「何でもやります!」っていうやつ。
いや、違うんだ。
何をやりたいと思ってるか、そのやりたいと思ってる事と本人が向いてそうなジャンルと合ってるか、それも見てるので。
逆に「全く合ってないだろそれ!」っていうのがインパクトになるかもしれませんし。
「何でもやります!」だとアピールとしてはマイナスだと思うんだよなぁ。
そんなところですかね。
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- 作者: 冨樫森
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