O-Lab +Ossan Laboratory+

Ossanの研究所です。

結局のところ、自分も「厄介SSWおじさん」であるところの話。

そもそも、自分が若かった頃と今は時代が違うので求められている音楽は違うし、実のところ芸能事務所やレーベルの人ですら「私たちも若くないので立てた戦略が当たるかは分からない」と不安を漏らす時代であって。


そう俺が先日聞いちゃったから、事実、そうなんだろうなと。
若い人、レコード会社に就職しに来ねーってよ。
それなりに今でも倍率はあるけど昔ほど来ないよ、と。
多忙、薄給、アーティストを縛り付けてるようなマイナスイメージ、どれも憧れの職業とは程遠く。


さて、話を元に戻す。


おじさんになった今は曲の感想を言うのも、もう躊躇する。
今の時代にこれが求められているのかどうかが分からないので「この曲が好き」という感想すら、何かを狂わせるリスクがある。
その事を自覚すると、簡単には言えないもので。
結局、ストレートに言えるとしたら「君の声が好きだよ」程度が確実な事であろうか。


それすら、本当は若いファンの人らにもっといっぱい言って欲しいのだけども。
おじさんが言うと気持ち悪いんだよねぇ、だって、会社で言ったらセクハラでしょう、その言葉。


できる事はなんだろな〜と考えた果てに思いついたのはスケジュールをサイトにまとめておく程度であって。
これですら迷惑でなければ良いな、と肩をすくめて思うしかないので。


あぁ早く売れてくんねーかな、あの子。

はてブと自分に「ブレーキ」を構築する事を開始してみる。


はてブのユーザの1人として「批判が集まればリンチと同様だ」という批判には「その通りです」と反省せねばならないと思った。
この指摘を肯定しないわけにはいかないというか。


今回のHagex氏の件が原因がどうであろうと、このまま、はてブが同じように維持されれば批判により追い詰められた人が自殺する等の事件も起こり得るだろう。
いや、すでにそういう事態があるけど知らないだけかもしれない。そう思う。


はてなユーザ側も「たまたま炎上しただけだもの」とは言えないくらいの影響力があることは各自が自認してるだろう。
私も常に正しいことをやってるとは思わないし、過去のはてブコメントには酷いものもあるはずだ。
それを考えるとこのまま放置して「自浄能力がないユーザ」として今後も存在し続けるのは善か?と。


それはダメよね。


今ははてブのシステムには何もないので各自がブレーキを持たねばならないと思う。
「批判」という行為は自由だけども、自らが動かねばと思うのだよね。


もちろん各自で「ここは譲れない」ってポイントもあるだろうし、難しい事なのも分かっている。

自らに「ブレーキ」を。

以下の事を自分でやっていこうと思った。
他の方はどうしようが自由だけども、俺はこれを守るように気をつける。

  • 相手が何らかの組織に所属しないような完全な個人の場合、批判コメントを入れない。
  • はてブ数が100を超えてるものの大半が批判だったらコメントを入れない。
  • 批判時の言葉を柔らかくする。


これでもまだ「緩い」とはてなを使用しない人らは感じるところかもしれないが、このあたりから徐々に進めたいと思う、という意味で受け止めて頂ければ幸いです。

はてな側に提案する機能

今の時代、コメントの文字数程度なら使われてる単語とかで批判コメントなのか否かはある程度の精度で判断できると思う。
批判コメントが一定の速度以上で増えている事を検知した場合に、コメントを一時非表示にするとか「ブレーキ」機能はあって良いと思う。
コメントはできるが表示できない、という感じの機能です。


株式市場にある「サーキットブレーカー」のような機能、だと考えてもらえば良い。
落ち着いたらコメント欄の表示を解除、ならば、はてなユーザが嫌悪する「発言の自由の剥奪」はある程度は回避できるだろうし。


どうでしょうか。

「アイスと雨音」を観た人むけ(だってネタバレでしょ?)。劇中に使用されているMOROHAの楽曲リスト。

探したけどリストがなかったんですよねぇ。
というわけで、ないなら俺が書けば良い、って事で。
抜けてたりシーンが間違ってたら教えてくださいませ。

  • 革命

稽古場で円になって騒ぐ輪に想と柚が入らないシーン


  • 三文銭

稽古場で中止が告げられるシーン


  • VS

中止が決まった後「MORNING」殺人事件のシーン


  • tomorrow

劇場入り予定日、劇場で柚と出会うシーン


  • RED

劇場から追い出される直前、ロビーにて


  • 四文銭

最後、ステージに立つシーン、映画タイトル


  • 遠郷タワー

カットからエンドロール


MOROHA『遠郷タワー』Official Music Video

「仕事が楽しい」瞬間なんて消えた。

俺の仕事(IT系エンジニア)特有なのかもしれないが「やってて面白いとか楽しい、みたいなのってどんな時ですか?」みたいな質問がある。
いや、他の何かを作る仕事の人は大抵訊かれる質問だろう。


最近、久々にその質問をされて「う〜ん」と考え込んでしまったのだった。
以前は間違いなく、その「仕事で楽しい時間」は存在した。
なんだろうか、今も「好きな仕事」としてやってるのは疑いはないのだが、以前よりも感情がフラットに仕事に向き合っている感じはある。


新しい技術の取り込みも以前ほど楽しくはなくなった。ついでに苦痛もなくなった。
多分、以前より「スルっ」という感じで取り込み出来てしまってるからだ。
これは経験を積んだから出来るようになった事なのだけども。それが俺をつまらなくさせてる。


「何か刺激が欲しいなぁ」的な感情が何となく、俺の中にここ最近あるにはある。
どうしたもんかねぇ。

国を「ジャイアン」に見立てて、それの「スネオ」になろうと頑張りながら是枝監督批判をするの、そっちのほうがかっこ悪いしズレてるのでは。

ジャイアンの前にいるスネオと同じ感じにしか見えないんだよなぁ。
toriid.hatenablog.com
toriid.hatenablog.com


俺は是枝監督が出演、登壇するイベントとかに行ったことがあるけども、監督が「公権力と距離を置く」と言ったことを

お金貰ってる人に対して「距離を保つ」とか失礼ですよね?しかも国からのお金って俺らのお金じゃん。つまり俺らから距離を保ちたいんだろ?この人。

とは解釈しないけどねぇ。


監督は相変わらず俺みたいな映画好きと会える事を喜んでくれるだろうし、俺もまたお会いできる日が来たら嬉しいな、としか思わないけどね。


話を戻すと、まるで「スネオ」なんだよね、この人の文章。
「国(ジャイアン)に逆らうと痛い目にあっちゃうぞ!」って書きたいだけ、っていう。
ジャイアンのび太をやっつけちゃえよ!!」みたいな。
ただそれだけですよね?


私は大人です、みたいなことを書いてるけど、子どもだなぁと。


そもそも優先順位の概念がおかしい。


だって、国民と国の関係の理想形ってのはさ、日本はとりあえずは国民主権、なので、
「国民がやりたいことをする(こっちが優先)」←「国民が税を納めて運用されてる国が国民の活動サポートをする」
っていう形じゃないですか?


文化庁もダンマリを決め込んでるのは、変に発言とかして「プロパガンダに利用しようとしてる!」とかなっちゃう事への警戒があるわけで。
そういう意味では文化庁の中の人ら、めっちゃしっかり運用してると思いますよ。
ちゃんと文化庁の中の人たち、黙ってるの偉いなぁって、俺は思いますけどね。


スネオにしか見えない方の文章、完全にその形をぶっ壊す話しかしてないんですよね。
国に国民が従うのが理想形、って、完全に書いてないにしても、頭の中にその形状があるわけですよね。
じゃなきゃ、あんな文章出てこないでしょうに。


そりゃ、何度ブログを書いたところで「まともに国民主権を理解してる他の人ら」と「理解してないこの方」とでは、永遠に話が合わないと思いますよ。

「恋は雨上がりのように」と「万引き家族」で映画を見てもいないのに妄想でデマを流したモノ側が一人勝ちするようになってしまった。

なんだかなぁと思う。
映画を見ずにタイトルや予告動画から「内容を妄想」して批判をする、という楽な形でデマを作った側が圧倒的に情報優位に立ってしまった。


恋は雨上がりのように」は「女子高生を食い物にする大人の話を映画にするのはいかがなモノか」論調が優勢、「万引き家族」は「万引きを美化する映画が日本を代表する作品になるなんて!」論調が優勢だ。


ここから下はネタバレ含むよ〜。









結論だけ先に言うならば「恋は雨上がりのように」は女子高生と大人の恋愛のゲスさを描いたものではなかった。
万引き家族」はそもそも、家族ですらない人らの話だ。しかも万引きが原因で警察の介入があり、関係性に亀裂が生じてエンディングを迎える。
「万引きを美化してる」なんてのは、どこにもなかった。


昔から、例えばスポーツ新聞の芸能記事の大半は妄想で書かれているのに、大衆が支持してエンターテイメントとして消費してきた。
なので昔からデマはエンターテイメントとして消費されてきた、という点は理解せねばならないけども。


でも今回のこの2作品に関しては度が過ぎるというか。
とりあえず見てから感想を言う、という当たり前の流れを理解してもらいたいところだけども。

各産業で必要な「IT知識がある一般人」の育成はやったほうが良いと思うよ。技術者は今までと同じ人数で足りるけど。

これ見て思ったんだけども。
www3.nhk.or.jp


ここで指してる「IT人材」の定義が分からんので何とも言えないけども、技術者は今のペースでも十分足りてると思う。
ただ、各産業、企業で必要なはずの「IT知識のある一般人」は確実に不足してる。


なぜなら、以前みたいに「SIerと各企業のシステム部門が企業内で使うITシステムを決定する」という形が死につつあるからだ。
例えば、経理部門でもっと効率の良いクラウドサービスを使いたい、とか、営業部門で最新のCRMを使いたい、となった時にシステム部門ではカバーできない上に、システム部門で一元管理するやり方だとスピードが出なくなってるからだ。


要するにSaaSと呼ばれるクラウドサービスを取捨選択して使いこなすには、各企業で「技術者ではないがIT知識がある」という人材が大量に必要だということ。


それら「IT知識のある一般人」の育成にお金は使っても良いんじゃないかな。
それが間接的にIT企業を育てていくだろう。