大人が嘆く、美しき過去と、汚れたという今
過去がどんだけ美しかったのか何てのは
俺には知らないことだし、知りえないことだし、知りたいとも思わない。
だからって、若者がいなくなったわけでもない
「今」を汚い時代だと罵倒する大人やらお年寄り共は
「今」を未来になれば「美しき過去」とする
若者たちに何を語るつもりなんだろうか。
思い出になったから
過去が美しくなっただけだろうが、っていう。
過去になったから、思い出になったから
触れないものになってしまったから
それはまるで、おいそれと触れなくなった
高価な宝石にでもなったかのように感じるから
美しいように感じてるだけなんだろう。
触りたいけど、触れないものほど、
欲しかったり、美しく感じるものはないんだろう。