O-Lab +Ossan Laboratory+

Ossanの研究所です。

活動休止理由を勝手に妄想してみる。

実のところ、以前の活動休止が発生した際、
俺が「事務所の資金繰り悪化で契約更新ができなかった。」っていう、
可能性を指摘したら、そのとおりだったという経緯があったので、
今回も勝手に妄想してみる。





以下、俺の妄想です。(強調)


前回の活動休止の大雑把な理由。
メジャーデビューした後、前事務所(と、いう表現にしておく)が、
資金繰りの悪化でシングルのリリースが凍結、
そこからリリースしてた、ボンブラも同様にリリース凍結、という状況が発生した。


それだけである。


デビューの頃に遡って、話をしよう。


前事務所は愛さんデビューにあたって、
清春氏関連で保持していた資金を全投下し、
デビューシングルを順調に売り上げて、
その売り上げを元に借り入れを行い、
再度資金投下、というサイクルを計画していた。


実際、デビューシングルのPVと楽曲は金がかかっていた。
楽曲の提供者は非常に多数に上っていたことが、
デビュー当時に発表されている。

http://www.barks.jp/news/?id=1000022443
そんな彼女は、今回のデビューにあたって、約100曲もの楽曲から選び抜かれた2曲と、1曲のカヴァーを収録している。


ところが、デビューシングルの売り上げ予想は大きく外れる。
リリース週にオリコンランキング100位以内に辛うじて入っただけであった。
これは、事務所側の想定を大きく下回っていた。


しかしながら、売り上げの低さにめげることなく、
ファンクラブの創設等に前向きに取り組んでいた。
この当時は。


前事務所は、デビューシングルの売り上げの低さを反省し、
2ndで楽曲の路線を変更、プロモーションの方法にもメスを入れ、
地道に販促を行うべく、ラジオ番組や、
各種イベントで楽曲を披露する方向へ舵を切る。


ところが、2ndの売り上げはデビューシングルの更に下となった。
この時点で資金繰りが急速に悪化した事務所は、
3rdシングルの楽曲提供者に、
以前より愛さんのライブ帯同者として協力をいただいていた、
野崎氏(キーボード奏者)を据え、コストカットと、
愛さんの声の魅力を理解した楽曲の作成を行う方向性を打ち出した。


ファンクラブの創設はこの時点で立ち消えになっている。
(ファンクラブの担当者さんが辞めた、との話を人づてに俺が聞いた。)


そして、3rdで前事務所は致命的なミスを犯す。
テレビのスポーツ番組に起用された楽曲を
3rdの前面に押し出すべきだったところを、
カップリングとしてしまったのである。


かくして、3rdの売り上げもあまり伸びることはなかった。


前事務所の関係者が資金調達に奔走する中、
3rdまでリリースした愛さんのアルバムリリースの計画が進行する。
しかしながら、新たにアルバム用の楽曲を
多くの作曲者に提供してもらうための資金はすでになかった。


要するに「低コストで売れる商品」を世の中に出すにはどうすれば良いのか?
という課題が課せられたのである。


その課題に対する苦悩の果てに導き出された結論が、
「カバーアルバムのリリース」であった。
これならば、編曲者のコストと著作権料の支払いであり、
一から楽曲を提供してもらう方法よりも割安である。


そして、編曲者には、はるか以前に愛さんのインディーズアルバムで
関係があった中塚武氏、そして、再度キーボード奏者の野崎氏を起用し、
ここでも限られた人脈範囲内で優秀なアーティストを起用することにより、
コストを最小限に抑えることに成功する。


コーラスは愛さん自らが行うという形を採用し、
徹底的な低コストを実現した商品を生み出したのであった。


そして、カバーアルバムがリリースされる。


カバーアルバムのプロモーションは、
デビュー当初からお世話になっていたラジオ番組、
全国のCD店での販促イベントの実施が中心となった。
その当時のカバーブームの波にあやかり、
売り上げが伸びるかと思われたが、
Web上では地味に反響があったものの、
これも期待はずれの結果に終わる。


この頃、4thシングルのリリース日が発表される。
しかしながら、その後、同事務所(レーベル)よりリリース予定だった、
ボンブラのリリース凍結が発表される。


ボンブラファン側では「資金繰りの悪化のようだ」との噂が流れ、
俺は愛さんの4thシングルのリリースを危険視するようになっていた。


その予感は的中し、4thシングルのリリース凍結の知らせは、
「発売日未定」とCDショップのWebサイトに掲載される形で、
ファンに対して発表される、という最悪の事態を迎える。


2007年7月、2005年に契約された契約年数の2年が満了を迎え、
新たな資金の確保ができなかった事務所は、
マネージャー氏、愛さんに事務所機能閉鎖の旨を告げ、
契約更新が行われないこととなる。


事実上の、解雇である。


マネージャー氏は、前事務所の社長の紹介か、
マネージャー氏の元々の人脈か、
別の事務所の仕事につくこととなり、
それと同時に「とりあえず、マネジメントのみ」という形で
愛さん自身も事務所移籍を完了する。


事務所移籍完了後、マネージャー氏と愛さんの関係は
マネージャー氏が愛さん以外の仕事を徐々に拡大しつつ、
手が開いている時は愛さんのフォローを行うという形で維持された。
「とりあえず、マネジメントのみ」契約はこの形で履行されていった。


マネージャー氏は愛さんの仕事では収入にならないため、
愛さん以外の仕事を急速に拡大していく。
元々、仕事をこなせるマネージャー氏が、
愛さんのフォローに時間を割けなくなるのは、
火を見るよりも明らかな話であった。


かくして、愛さんは徐々にではあるが、
自らが置かれている状況に対する理解を深いものとしていくこととなる。
大学卒業のタイミングを見据え、
音楽活動を再度本格化させるべく様々な方法を彼女は模索していった。


しかしながら「前事務所を閉鎖に追い込んだ」という事実が、
再活動を支援する人らを得る事を困難にしたのか、
はたまた、音楽不況のためなのか、
彼女の才能を理解する者と出会うことができなかったのか。


再活動の扉を開くことは、できなかったのである。


扉を開くことができなかった。
その事実と向き合い、苦悩する中で彼女が出した結論は。
「私の楽曲、詞、歌に魅力がないから、誰も支援してくれないのだ。」
という、非常にシンプルなものであった。


そして、2009年2月23日 (月)。
彼女はその結論をBlogに綴る。

宮川 愛 -Official Diary-: 【重要なお知らせ】
http://miyakawaai.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-4fb6.html
しかし、デビュー3年目という節目を迎えた今、
一人のアーティストとして・人として・女性として、
もう一段上へステップ・アップしたい、
しなければならない、という思いが強くなり、
そのためにはどうしたらいいのか、考え続けてきました。


その結果、
一旦活動を休止し、
私の今後の音楽や生き方の「軸」になる何かを
形作るための充電期間が、
どうしても必要だと思うようになりました。


今回、彼女が出した結論は、
逆に言えば「これに失敗したら、二度と出て来れない」という
崖っぷちの結論であることは言うまでもない。


なぜならば、
「私の楽曲、詞、歌に魅力がないから、誰も支援してくれないのだ。」
が結論の根拠である、と彼女が考えているからである。


果たして、彼女は復活するのだろうか?
彼女が以前言った
「偉大な感じというより、親しみやすい感じのアーティストになりたい」
が実現する日は来るのか?







以上、壮大な妄想でした。