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Ossanの研究所です。

「春節のかりゆし2013 魅惑のバレンタインディ POP SHOW(未来編)」@月見ル君想フ。2013/02/13(水)

「感想は書かない」的な事を書いたのだけども、
今回のライブは観た人によって感想に結構な差が出そうな
気がして来たので「Ossanって人はこう感じてました」を
書いておこうかなと。

全部壊して、一から作り直してる感じ。

なんか、まだ未完成、発展途上、修正途中、試行錯誤。
そんな感じが穏やかに伝わってくる感じでした。


南波ちゃん自身がライブを何回もこなしてるから、
それらの経験から来ているスキルでソツなくまとめ上げれてしまうがゆえ、
今までと全く違う事をやってるにも関わらず、
強烈な違和感を見る側に与える事はない、というのが、
「穏やかに違和感」が伝わる感じになってるのかな、と。


全部、壊した感じがありました。
なので、何度も何度も「リハをしました!」と、
twitterで書いてたのも納得。最初からやり直してるわけなので。

「舞」が良かった曲。

「胸騒ぎの惑星」が凄く良かった。
この曲では絶対的に「舞」があったほうが良いと感じた。


無重力な世界で「エネルギー保存の法則」的な衝突の動き。
とても美しくて、俺はとても好き。
この曲だけ南波ちゃんの「舞」を撮影してDVD出して欲しいレベル。


背景で月が輝いていた効果もあっただろうけどもw


この曲の前に数曲あったのだけども、
この曲で初めて「南波ちゃんが何をしたいのか?」が、
強く理解出来た。「あぁ、そうか、こういう事か!!」と。


それと「ありゃりゃ?」と「MUSIC」。


この3曲は「舞」の意義をとてもとても強く感じた。
「絶対、これは毎回やったほうが良い!」と思った。


曲調によって「舞が有」「舞が無」を使い分けるべき、かも?

逆に、これまで南波ちゃんがステージ上を動き回って、
体いっぱいで気迫やら熱気やらを表現してた、
「それでも言えないYOU&I」「ミライクロニクル」「こどなの階段」は
ここまで細かい動きは必要なくて、今までと同じような、
ステージ上のパフォーマンスのほうが良いのではないか?と感じた。


南波ちゃんがステージ上で体全部を使ってやってたパフォーマンスの、
「良い部分」が「舞」によってスポイルされてしまってるように思う。


南波ちゃんの「気迫」が伝わってこない、という。


こぶしを握りしめて振り回す南波ちゃんに、
客席が自然と応えるような、そういう曲はこれまで通りにして
「こぶしを振り回すのは、この曲は違うよな。。。」
というような曲に重点的に「舞」を付加したほうが良いかもしれない。

でも、進んでる方向は正しいと思う。

お前、結局、南波ちゃんが好きなだけちゃうんか。
とか言われそうですが、まぁ、聞いてくださいよ。


南波ちゃんの曲はジャンルも曲調も幅広くて、
ライブで披露する上で「この曲ってさぁ、どうしたら良いんさ?」と、
ライブで聴いてる側が戸惑うような曲も中にはあるわけです、ぶっちゃけ。


そういう曲にこそ、重点的に彼女が「舞」を付与すれば、
それは「これを観にココへ来た」ってのが追加されて、凄く良いと思うんですよ。
「聴きに来た」+「南波ちゃん観に来た」+「この「舞」の表現を観に来た」
って、ほら、魅力とか観に来る理由とか盛りだくさんで良いじゃないですか?

でも、やっぱり、初めて見たら戸惑う人も多いかもしれない。

ライブが終わったと同時に、凄く悩んでました、俺は。


「なんなんだろう、これは。これって良いんだろうか?」と、
ずっと何だか悩んでしまって「南波ちゃんと違うわ〜」と。
会場のドアを出てからも、感じた事を自分で咀嚼するために、
考える事が多過ぎて。あまりに多過ぎて。


でも「「今までの」南波ちゃんと違うわ〜」であって、
「南波ちゃんと違うわ〜」ではないんだよな、と理解したのは、
表参道駅までブラブラ歩いて、電車に乗ってからなのでした。

いや、でも、やっぱり、観に来い!!

受ける衝撃、感じるモノ、それはそれぞれで違うかもしれないけども、
「今の南波志帆」を、是非観に来て欲しい。


「やはり、南波志帆は「立ち止まらない」のだ」と、感じるためにも。






とはいえ、ライブの予定がねええええええええええええええええええ!!
コラ!!さぼってんじゃねええええええええええええ!!
もっと色んな人に見せてこいやあああああああああああああああ!!


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