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O-Lab +Ossan Laboratory+

Ossanの研究所です。

コーヒーとチョコレートとデスマーチ。

駄文

俺が大学を卒業して就職活動をしてた2002年の頃、
「君たちがこれまでで一番(就活が)困難な時代だ」
と言われた。


ITバブルが崩壊して、前年は9・11。
飛行機がビルに突っ込んでいくのをテレ東のWBSで見た。
俺はそんな大学生であった。


大卒の求人数は歴史的な落ち込みを見せていて。
来年になったら求人数も増えるかもしれない、と、
淡い期待を抱いて早々に就活を止めてしまう奴もいたり。
でも、今振り返れば実際には景気は下り坂の序章でしかなかった。


就活で書類を送った企業が面接の前に倒産したり、
面接をした企業の社長が公的な認定を受けてたシステムの開発費の
私的流用で捕まったり、世の中のぐちゃぐちゃな部分を見ながら、
社会人の世界に足を踏み入れた。

俺、鶴見へ飛ばされる。

「うちは転勤とかないから」と言われて大阪で入社した企業。


入社した5月に社長室に呼ばれて社長から、
「すまんが、横浜に行ってくれないか?」
「え?いつからですか?」
「いや、もう来週くらいから。引越費用とか家賃も払うから。
 東京支店長が使ってた部屋、タダで使ってもらうから。
 お前、今年の新卒の中でとりあえずデキそうなほうだから、横浜。鶴見。」


「デキそうなほうだから」ってのが、何ともアレゲであった。
褒められてるのかすら分からない。
俺は機転を効かせて「親が体調悪かったりするんで、ちょっと準備期間が欲しい」
とか適当に理由作って気持ちの体勢を整えた。


もちろん、親は元気であった。


そうこうしてるうちに、同期のもう1人が先に横浜に行かされていた。
俺「で、どうよ横浜?」
同期「サイテーな職場だよ。というか横浜じゃないな、ここ。」


実は、俺は内心
「うはwハロプロライブとか横浜アリーナ近くなるw
 超楽しみwww新幹線料金不要になるw」
であった。


でも、それがなかったら、
心が壊れてしまうような場所に放り込まれたのだった。

存在しないテスト。

鶴見に飛ばされて、突然俺が飛ばされた理由が分かった。


プロジェクトがすでにスケジュール遅延を起こしていた。
プロバーのSIerが受注した案件に複数の中小企業が合同で関わっていて、
俺が就職した会社もその中小企業のうちの1つであった。


下請けSIerバンザイ。


そんなもんで「うちはこんなに人員を投入しています!」という、
ポーズをかますために突っ込まれた人員の1人が俺だった。


その頃の俺は大してコードが書ける人間じゃなかった。
今でこそ、Webで調べて大体を把握したらコード書いて、テストやって、
問題のない品質のモノに出来るが、当時の俺にはさっぱり出来なかった。


ただ、問題は他人のコードを見て、コピペして、
何となくそれっぽく動いてしまうコードを書いてしまう能力があった。
雰囲気的に動作するコードを書いてしまうもんで、
「あーこいつ新卒だけど仕事やらせてみるかー」になってしまったようだった。
プロジェクトは炎上している。人は足りない。


詳細設計書を渡された。コードを書いた。


結局は、先輩が俺のPCでやった単体テストでバグだらけなのが露呈した。
他の先輩たちは無理してやらなくて良いと言ってくれていた。
ろくに教育も何もせずに鶴見に新卒を飛ばして!むちゃですよ!
と上司とけんかしてくれる先輩もいたくらいで。
で、それに甘えた。俺はテスト工程の作業を担当する事になった。


テスト工程用の部屋は別にあった。
そこで、俺は朝から晩まで寝ていた。
プロジェクトが遅延しているので、テストに持ち込まれるものが何もなかった。


昨日もなかった、今日もないだろう。
実際、明日にもテストはなかった。
プロジェクトが炎上している中、仕様もまだ流動的で、
そもそもの結合テストが出来ないのだった。


結合テスト用のちょい高級な機種が置かれた部屋で、
冷暖房は他の部屋より快適だった。他に人もいなかった。
高級な機種が鎮座する机の配置が絶妙に机の下に大きな空間を作っていた。
その机の下に外からは影になって見えない場所があって、
寝やすいクッションとお菓子、コーヒーやらを持ち込んでいた。


プロジェクトが終わるまでバレる事はなかった。


たまにテストがあるかどうかを確認をするために先輩が来た。
だが、プロジェクト会議が終わった直後だけにしか来ない事が分かっていた。
それ以外の時間は机の下で寝た。あまりに怠惰な日々だった。
それが2ヶ月ほど続いた。


プロジェクトの上のほうの人が結合テストがまだ不要な事に気づいたので、
俺は再びテストの部屋からコードを書く部屋へ移された。

時間が溶けて、死を予感する日。

5月に鶴見に飛ばされて、夏の頃にテスト部屋という、
俺にとっては快適な寝室で過ごした時期は終わり、
秋の頃からコードを書いた。


相変わらず、俺のコードはダメだった。
そもそもAPIという単語の意味すらまだ理解してなかった。
ライブラリにすでにある機能をベタ書きでやろうと悪戦苦闘して、
どうやって処理したら良いのか分からなくて色々書いてたが、
ある日、先輩がやってきて1行関数呼び出しを書いただけで終わった。


そんな生産性がゼロな日々が続いた。
朝から晩までコードとにらめっこだった。


ただ一つだけ確実に覚えた事があった。
VSS(Visual SourceSafe)はダメだという事だ。


ある日、うちの企業のコードが全部飛んだ。
VSSで。おめでとうございます。
「こんなんじゃ、プロジェクト終わらないよ!!」と、
プロパーの人がうちの机が並べられる場所に来てどなった。


それ以後、プロパーとの争いが絶えなくなる。


「そんな仕様、いつ言った!俺は言ってない!!
 なんじなんぷんなんびょう!!ちきゅうが何回まわったときだ!!!」
とプロパーの50代の社員が怒鳴ったのは歴史に残るんじゃないかと思った。


そんなある日。
別の企業から来てた人が亡くなったと噂で聞いた。
自殺かぁ、そっかー、他の機能やってる企業の人とか、
名前聞いても顔は分からないしなー。


皆、そんな感じ。皆、感覚がおかしくなってた。


俺に用意された東京支店長が使ってたという部屋は
職場から歩いて帰れる場所にあった。
なので終電がなかった。朝から晩まで、と書いたが、
実際は朝から朝までという状態だった。若かったので、体は動いた。


そんな日々に、親の代わりに妹からメールが届いた。
「たまには電話ください」。
早朝くらいしか電話が出来る時間はなかった。


だから、俺は電話もしなかった。


時間感覚はすでに壊れていた。
「晩飯食いに行くか〜」と先輩に言われて外に出て時間が分かる。
時間が溶けるような感覚だった。






溶ける。






あったはずの「時間」という概念が無くなってゆく。
必要だったはずの睡眠時間がいくらでも減らせるようになっていった。


職場の前に大きな幹線道路があった。深夜でも交通量が多くて、
「ここに飛び込んだら楽になれるんだけどなー」と先輩が言って、
皆でゲラゲラ笑いながら近くで深夜までやってるファミレスに行った。


その年。職場でラジオからゆく年来る年を聞いた。
オフィスには俺と先輩の2人だった。

コーヒーとチョコレートとデスマーチ


=====
デスマーチ」はIT業界で使われる単語だ。


日本語訳をすると「死への行進」であり、
プロジェクトの破綻に近づく日々や、
プロジェクトの終焉が見ない状況の日々で人間の日常が、
あまりに効率的に、行進のごとく破壊されて行く事を指す。


その行進は止まらない。
=====


年が明けて、実家で新年の数日を過ごした。
その数日で何かが元に戻った。
というか、睡眠が必要な体に戻った。


体が睡眠を必要とする体に戻ったからか、
次第に勝手に体が防衛反応を示したのか。
職場で寝るようになった。居眠りを通り超して、爆睡。


夜に眠れなくなっていた。なので、職場で寝る。上司に怒られる。
「もうお前は帰れ!」そう言われて、素直に帰宅した。


「帰れ!と言われて帰るやつは初めて見た。」
従業員数300人の会社で一番有名な新卒になっていた事を知るのは、
後日、大阪の職場に帰ってからだ。


夜に眠れないが、仕事をする必要がある。
起きないとダメだ。さて、どうするか。


血糖値を上げれば頭が冴える。
カフェインも眠気覚ましに必要だな。


俺が出した結論。


コーヒーとチョコレートの同時摂取。
これが結構効いた。エスタロンモカより効いた気がする。
コーヒーとラムネも効いた。


でも、コーヒーとチョコレートが組み合わせ的に良かった。
体がブーストされる感覚があった。


コーヒーとチョコレートを流し込んだ。
体がブーストされる。眠気は飛んで、目は開いた。
そして、バグだらけのコードを書いた。


時間感覚は戻っていた。
日付が変わった3時くらいに帰るようになっていた。
帰宅して爆睡して、朝の9時にちゃんと出社するようになっていた。


春。


何も考えずに、キーボードの上に、
ペットボトルの水を、、、じゃーーーーーーーーとかけた。
何も考えていなかった。
手が勝手に「じゃーーーーーーーー」とやったのだった。


机は水浸しになった。
隣に座っていた先輩も上司も気づいていなかった。


雑巾を借りて来て、トイレの洗面台で
キーボードの水気を振り回して取った。


GWの逃亡。

プロジェクトは終わりが見えなくなっていた。
プロパーのSIerの社長が状況の視察と称して、フロアに来た。
その出来事でプロジェクトの遅延が大問題になっている事を理解した。


ただ、SIerの社長が来た事自体は、意味不明だった。
あーそっかー、これもポーズってやつかぁー。


俺のキーボードは、ペットボトルのお水をじゃー事件で、
壊れたので、すでに人のいなくなってた別のPCから深夜に交換した。


3月あたりから、プロジェクトメンバーの変更が話に出ていた。
俺はこんな体たらくだから追い出して大阪に返してもらえるだろうと期待していた。
大阪に帰るには俺がいかに糞であるかを認めさせれば良いと思った。


再び、俺は職場で寝る日々を始めた。我ながら糞だった。
なのに、何故かプロジェクトからは追い出されなかった。
他の協力会社から来ていた方々が費用面の問題から先にプロジェクトから、
出て行く形になっていたらしかった。


俺が色々と迷惑をかけた方々がプロジェクトのフロアからいなくなった。
相変わらず俺は「俺の糞っぷりPRキャンペーン」のため、寝た。


社長の耳に入ったらしく「あいつをクビにしろ!」と言ってたらしい。
だが、クビにならなかった。理由は分からなかった。
すでに社内で変に有名になってたからか。
それとも、やりたい放題の俺が面白くなった人がいたのか。


先輩が4月にプロジェクトから出る事になって、
GWに大阪に戻る事になったと聞いた。
じゃあ、おいらも大阪帰る。と、勝手に宣言して、
プロジェクトの上司の承認も取らずに引っ越し屋を呼んだ。


4月末、じゃあ、おいらは大阪戻るので。と上司に言った。
何も言わなかった。


職場の人らは暖かく送り出してくれた。
まぁ、大阪でまともな日々を過ごしてくれよ。。。
そう言われて。


GWに大阪に戻って、5月から大阪の本社オフィスに顔を出したら、
大騒ぎになった。何でお前はここにいるんだ?と。
「GWに帰る予定で引っ越し屋を呼んじゃったので」と糞な回答をした。


そしたら、変な出来事が起こった。


俺を「クビにしろ!」と言ってた社長が、
「もう戻ってきたんだから、引っ越し屋の代金出してやれ!!」と、
会社費用で出してくれた。新横浜〜大阪間の新幹線代も出してくれた。


あまりに言う事を聞かない俺が面白くなったのか、
その後は、色々と社長やら他の複数部門の上司が
面倒を見てくれるようになった。


こうして、1年続いた
コーヒーとチョコレートとデスマーチ
は終わった。