結局「日本死ね」に込められた、あの言いようのない「やるせなさ」を理解できない層が俺たちの敵なのではないか?
なんというか、「死ねと表現するのはいかがなものか」と言っている人らが、
結局は俺たちの(ひとくくりにしてスマンけど)敵なんじゃないか?
と思ってしまった。
おいら、35歳。
「日本死ね」って、俺は良い表現だと思う。
いや、ほんと、そう言っても良いじゃん。って思う。
「言葉が暴力的だ」という人らが、問題を先送りにし、
未来は今よりもマトモだろうから何とかなるだろう、
と勘違いし続けていた人らである事を、
残念ながら、俺たちはとても良く理解している。
誤魔化そうったって、無駄だ。
本質から目を背けさせようと思ったって、無駄だ。
「理想的な事ばかり言って先送りにしてきたようだが、
結局、今の現実はこうだ」
と突然言われた事が気に入らない人らの反論が、
「その表現はいかがなものか」という、中身がないものであったという、
現実から目を背けたものであった事は、
問題先送りが常態化してきた人らの反論として、
とてもとても的確であると感じるだけであった。
それしか、反論できなかったからだ。
「死ねと表現するのはいかがなものか」と言い続ければ良い。
何も変わらないまま、あんたらは寿命を迎えてしまえば良いのだ。
今の日本なんて「日本死ね」って言われりゃ良いのだ。
未来の日本が少しでも良くなるなら、
「今の日本」なんて、とっとと死ねば良いのだ。