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Ossanの研究所です。

父よ、さらば。

知り合いとか、他の方にも父の事は伝えてましたが、いろいろありがとうございました。
なんとなく文章にしたいので書く。


月曜日に父が亡くなりました。
ほぼ一年前に脳梗塞で倒れて、実はその時に危篤状態になっていたので、そういう意味では突然逝かずに1年頑張ってくれた、という感覚のほうが私には強くあります。
この1年の間に他の臓器でも疾患が発生して入院、安定したので介護施設へ再度移動、また入院、という繰り返しが起きていたので、脳梗塞で機能停止した箇所の影響をじわじわと受けて臓器が順次停止へ向かってるのかもしれないという予感はありました。


私はそういう意味では「人体」をメカニカルなネットワークで保持されているシステムとして捉えていて、突然の出来事ではあったけど前兆はあったなと思ってはいます。
ただ、その日が来るのは他の臓器も停止してからかな、と思っていた。
なので「ちょっと早いな」という気持ちはあります。


最後に会った2月に、介護施設の窓の外を飛んできたスーパーの白いビニール袋が近所の木の枝に引っかかったのを見て父と笑いあったのが最後でした。
俺「ビニール、ひっかかったな笑」
父「ふふふ。へっへっへっ笑」
みたいな。


その時に
「こんな感じで風が強いし今はまだ寒いから、桜が咲いたら近所の公園に散歩してみようか」と言ったのですが、桜が咲く前に逝ってしまいました。


父が旅立った水曜日は「桜が咲くのはまだまだ先だったから気にするな」とでも言いたげな、3月には珍しい大雪の日であった。
朝起きて窓の外を見たときは何も降ってなかったのに、準備を終えて葬儀会館に向かおうとドアを開けて外を見たら雪がバサバサ降っていて「なんだこれは(笑)」と思わず笑うくらいに。


父が眠る部屋に着いた時にも「なんだこの雪は(笑)」と父に話すくらいに、笑っちゃうくらい降っていて。
まぁ、あれだ、桜はまだだったが、雪の華を見た、って事にしよう。って事なんだろうけど。


父はそもそも、他人よりも自分の自由を選ぶ人であった。
だからか私が何かやってる事に興味は持ってくれるが、これはダメ、とは言わない人であった。
それに気づいたのは俺が大学生になってからだった。
思ったよりも周りの人らは親から「これはダメ、あれはダメ」と言われてるんだな、と気づいた事があったから。


よくよく考えてみれば祖父も自由であったし、私もそれを受け継いていて、俺が転職で東京へ行くわ、という時も「あっそー、面白そうやな東京」って感じだった。
俺が車をはじめとする機械類が好きなのは間違いなく父の影響であるし、大学生の時に生まれて初めて買ったPCがブラウン管じゃなくて当時高価だったTFT液晶だったのも父が「え?液晶のほうが面白そうやん。お金出すからこっちにしよ」と言ったからだった。
結局、それのおかげで今の仕事に就く道筋が出来たようなもんだ。


花が好きなのも、父が雑ながらも鉢植えに花を植えてたからだったかもしれん。


俺が可愛い女の子が大好きなのも父から受け継いだ遺伝子の影響だろう。
そもそも、好きな女の子の好みが一緒だったんだよなぁ。


俺はずっと石原さとみヲタやってたけど父には何も話してなくて。
そしたらある日、どうやら父はさとみちゃんが好きなようだ、と思われる行動を見つけ(なんか雑誌のページ切り抜きとか部屋に置いてあったんだと思う)。
さとみちゃんのサイン入りカレンダー、俺は複数本持ってるんで、ってプレゼントしたら「え!なにそれすごい!」みたいな感じで部屋に飾ってたのだった。


父「なんでこんなの持ってるの?」
俺「めっちゃ前からさとみちゃんのファンなんだよ。。。」
父「w」


父に「さとみちゃんと一緒に写真撮ったりした事あるよ〜」って写真見せたら「ぐぬぬ。。。」みたいな反応だった。
そしたら父がN'sあおいの再放送のテレビを携帯で撮ったのを「俺はこんなの持ってる!」って俺に見せてきてw
なにしとんねんwwwwそれももう数年前の話だけど。


最後まで自由であったし、他人に迷惑をさしてかけずに自由のままで逝った。


送り出す日、棺に折り鶴を折って入れるのだ、と言われて鶴を折ったけども、紙飛行機も折って入れた。
そっちのほうが父らしい。鶴よりも飛行機だろう、父が旅立つ時に選ぶのは。


父よ、さらば。


またお会いしましょう。