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Ossanの研究所です。

「恋は雨上がりのように」と「万引き家族」で映画を見てもいないのに妄想でデマを流したモノ側が一人勝ちするようになってしまった。

なんだかなぁと思う。
映画を見ずにタイトルや予告動画から「内容を妄想」して批判をする、という楽な形でデマを作った側が圧倒的に情報優位に立ってしまった。


恋は雨上がりのように」は「女子高生を食い物にする大人の話を映画にするのはいかがなモノか」論調が優勢、「万引き家族」は「万引きを美化する映画が日本を代表する作品になるなんて!」論調が優勢だ。


ここから下はネタバレ含むよ〜。









結論だけ先に言うならば「恋は雨上がりのように」は女子高生と大人の恋愛のゲスさを描いたものではなかった。
万引き家族」はそもそも、家族ですらない人らの話だ。しかも万引きが原因で警察の介入があり、関係性に亀裂が生じてエンディングを迎える。
「万引きを美化してる」なんてのは、どこにもなかった。


昔から、例えばスポーツ新聞の芸能記事の大半は妄想で書かれているのに、大衆が支持してエンターテイメントとして消費してきた。
なので昔からデマはエンターテイメントとして消費されてきた、という点は理解せねばならないけども。


でも今回のこの2作品に関しては度が過ぎるというか。
とりあえず見てから感想を言う、という当たり前の流れを理解してもらいたいところだけども。