土屋太鳳さんが出演したクソ朗読劇「坂元裕二 朗読劇2021」の感想と、それの千秋楽と、再び訪れた失われる日々。
朗読劇の感想を書く書くと自分に言い聞かせるように、何人かに言ってしまった。
なので、忘れないうちに書いておく。
朗読劇の感想はTwitterで見かけた多くが賞賛だったけども、まぁ私は作品の内容自体が好きになれなかったので、うーん。
そもそも私は簡単に人が死ぬのが出てくる話が好きではない。今回の朗読劇は3作とも誰かがストーリーの中で死んでいて、死が「単なるストーリーの味付け」のように感じたので、なおいっそう私は好きになれないのであった。
このご時世に、こういう話をわざわざ聞きたいと思わない、というのが私の全てなのだなと、公演終了からほぼ1週間経って思う。
ま〜何というか、せっかく多くの観客が集まり(こんなご時世に500人が集まったのだ)そしてステージ上に俳優が2人いるのに。
それなのに、なぜかあまりに硬派な朗読劇だったことに対して強い不満が私にはあって、ステージ上で俳優が椅子に座って、内容を感情を入れて読み上げるだけで、俳優2人が目を合わせたりするような事もない、演出。
というか、これ、どのあたりが「劇」でした?
ラジオドラマで出しなおしたほうが、良い作品になるのでは。。。
他の朗読劇(本当に様々な演出がある朗読劇がこの世にはあるのだ)を知っている私としては、今回の演出は会場のサイズ感(500人収容)とも合ってない演出ではないかと感じたし、客席からどう見えるのか、2時間近くこれだけを聞く客はどういう印象を抱くか、あたりがあまり考察されずに本番に至ったのでは?
と、強い疑問を感じるくらいに完成度が低かったという印象だった。
まぁ、クソでした。(書いちゃったよ、おい)
どれくらいクソだったかというと、これまで見た朗読劇の中ではダントツでクソでした。
(余計な事を書いちゃったよ、おい)
終わった後の最初の感想は「(ピクリとも動かないように座り続けたもんで)ケツいてぇ」でしたし。
100名くらいのサイズ感の会場であれば、発話している俳優さんの息づかい、ページをめくる音や、思わず動いた俳優さんと椅子が擦れる音、顔の表情などなども含めて、客側に伝わってきて楽しめるので、こういう硬派なものでも成立するとは思うのだが(というか、実際にちゃんと成立してる硬派な朗読劇を見たことあるので出来るんですよ)やはり、演出意図と会場のサイズ、朗読劇のストーリーの長さ(正直言って長すぎる)が全くもって、チグハグで合ってなかったのではないか、と思う。
朗読劇のストーリー自体は、小説で読んだらとても楽しめそうなショートストーリーであるのは間違いないので、つくづく残念だなと。
朗読劇が終わった後に「あぁ、疲れた」と客が言いながら帰って行っているのは、やはりマズいのではないかと感じる。
な〜本当にもうさぁ、ストーリーは間違いなく良いと思うんですよ「忘れえぬ、忘れえぬ」は、多分、小説で読んだら私は間違いなく好きな作品。
なんでこうなっちゃったかなぁ。
あ、俳優さんはお二人とも謎の制約の中で精一杯やってらっしゃったと思います。
クソな演出の犠牲になってしまった事、心から同情します!!!
お疲れ様でした!!!!!!!!!!!!!!!
あとさ、どんだけ関係者チケット配ったのさ、、、
〜〜さんにチケットもらったんで来ましたっす〜みたいな会話、土曜日も日曜日も開演前に異常に聞きましたけども。
ほんとさぁ、ああいう会話は会場でしないほうが良いと思うよ、芸能関係者さんたち。
太鳳さんは、声の色を変えたりとか、懸命にやっていて、それを「太鳳ちゃん頑張ってる!良い!!」って思える人には良い作品だったと思います。
仲野さんも試行錯誤されたんだろうなぁというのは非常に感じました。ちゃんと激しく泣いたりされてましたし。
でも、結局、演出側でガチガチに縛り付けちゃってるから、俳優さんお二人の頑張りが解き放たれないんですよね、、、
なんで、もう少し、演出側は俳優さん側に寄り添わなかったんでしょうか?
演出側が俳優側に寄り添わなかったがゆえ、つまらなかったです、、、
ステージ上の俳優さん2名が、ずっと、オリの中に閉じ込められてるのを2時間観てるようなもんでしたね、要するに。
それにしても、こんなつまらない朗読劇が、コロナで色々なモノが失われる前に見た最後の作品になるとはなぁ。
再び失われる日々が訪れたのに、最悪の区切りとなった作品でしたね。