kawangoさんの言いたい事がニュアンス的に理解できるけど、そういう時代では無くなったとも、俺は理解してる。
あー、わかる、わかるんだけどさぁ、っていう。
kawango.hatenablog.com
ここで補足すると、そもそもネットを公共の場として発言に責任を求める風潮をぼくは嫌悪している。だったら現実と変わらないというか、発言のログが残るし、だれからもアクセスできるから、現実以下の公共の場ということになる。立場あるひとは基本、あたりさわりのないことしかネットで発言できない。
— kawango2525 (@nkawa2525) 2018年4月7日
昔のWebでどっぷり浸かって使い倒してた人らですら、その感覚が思い出せるかどうか、ちょっと難しい「あの」感覚。
私個人としては「あー、そうだったな」と久々に思い出した感覚ではあって。
昔のWeb、一般人の進出してる領域(不適切な表現に思えるが、そういう表現しかできない話)が極端に狭くて、何らかの興味やら趣味やらがある人が使っている領域が恐ろしく広かった時代のWebの時。
誰もが他人の発言が「過去ログ」側へ移ったら放置してるというか、自分自身すら何を書いたか思い出せないような感覚でやってた時代。
他人が変な発言を書いてても「Webにテキトーに書いてた事だろ?ほっとけや(鼻ホジ」みたいな感じの時代。
kawangoさんの言いたい事はその感覚だった頃、その状況の話だよなぁと。
個人が書いた内容も「Webに書いてた事」という事で現実の責任は「とりあえず置いておいて」となってた感じの空気というか。
例えるなら何と言うか「会社で上司の悪口を言ったらクビ」だけど「業務後に飲み屋で上司の悪口を言ってるのは、あるあるだからしょうがねぇな」みたいな分け方があった時代よね。
Webに書いた事が「業務後の飲み屋の愚痴」扱い程度であったというか。
例えるのも難しいので、こんな感じで例えちゃったけども。
まぁでも、その時代の時はそれはそれで「現実から隠れて」やってたわけですけども。
Webが実質的に完全に隠れ家だったのもあるけど。
それに一般人じゃない人ら、の領域(重ねて言うが、不適切な表現に思えるが、そういう表現しかできない話)が広くて、そこで燃えてても現実社会には影響がなかった感じ、みたいな。
ちょっとあの頃は上手く行きすぎてたんだろうな、と今となっては思う。
kawangoさんが「今」に抗って過去のそれらを取り戻すのか、新しく作り出したい、のか、それは置いておいても。
あの感覚が「無責任」であったか、というと、そりゃ「無責任」だったわけだろうけど、全て「Webに書かれてる事は所詮ネタ」と扱ったようなあの空気感が今後に一般的になり得るのか、と言われると私は難しいとも思う。
若い人たちはそのあたりを「裏アカ」って形で上手く、感情のガス抜きをしてるよな、とか思ったりする。
今の時代のWebの使い方としては、妥協策としてはとても上手くやってると思う。
なので個人的には、kawangoさんも若い人を見習って「裏アカ」で妥協っていう形でも良いんじゃないかなとか思うけどなぁ。どうなんだろ。
俺たちも年を取った。だから、若い人にそろそろ倣っても良いかもしれない、という意味でも。