「夢」と「欲望」に理論的に差異は全くない。だが「欲望」は叩かれ「夢」は称賛される。
オリンピックがもうすぐ始まる、って事で、
それぞれの選手が「金メダルを目指します!」と、
マスコミに「言わされている。」毎日が続いておりますが。
スポーツ選手が「金メダルを目指します。」ってのは、
所詮「欲望」であって、日本人はとりわけ「欲望」的な発言を嫌うはずなのだが、
それらの「欲望」は、スポーツ選手の「夢」として解釈され、
極めて好意的に処理が行われる。
貧乏人の子供が「将来、お金持ちになりたい!」と言っても、
恐らくその発言は「夢」として処理され、
「頑張って勉強して、お金持ちになってね!!」と大人達から称賛される。
しかし、この子が将来大人になって、お金持ちになったとしたら、
「金と欲望にマミレタ、嫌な奴。」と処理されるはずであろう。
しかしながら「夢」と「欲望」は、同一のものであって、そこに差異はないのである。
同一ならば、「欲望」として処理され「叩かれる」に至る条件は何なのか?
単純に世間一般人から見た場合に、
その人物の欲望が世間一般人の生存上の「脅威」と見なされれば、
「欲望」として処理が行われ、攻撃される要因となる。
逆に「特に脅威ではない。」と見なされれば、
それらの「欲望」は、「夢」と解釈され、好意的に処理される。
簡単にいうと「欲望」をスムーズに実現させるには、
いかに世間に「脅威にはならない欲望である。」という認識をさせるかが、
最も重要であるという事である。
そして、そのタダ1点でミスを犯せば、「努力」すら「悪意」と見なされる。
それこそ「空気を読め」という事なのだろうか。
くだらない事実であるが。