O-Lab +Ossan Laboratory+

Ossanの研究所です。

世の中に流れる情報量が増大すると、各個人の「世間」と呼んでいる「社会の観測、把握範囲」が極小化していく、と思われる仮説について。

適当すぎるタイトル。


例えば、10年前のようにWebを活用する人間が
「異端」であった時代、大まかに分断されていた
「世間」という「社会の観測、把握範囲」が
仮に100枠存在していたとして。


その各枠に毎時10の出来事(情報)が流れていた場合に、
各個人は10の枠を観測していたとすると、
世間(100枠中)10枠 x 10出来事 = 100出来事
だった、と、むちゃに設定すると。


現在の世の中では100枠が1000枠になってるような状況で、
かつ、毎時に各枠に流れる出来事が20出来事になっているとした場合、
人間の処理能力は限界があるので、10年前の倍である、
毎時200出来事を人間が処理出来るようにパワーアップしたとしても、


世間(1000枠中)10枠 x 20出来事 = 200出来事
なわけで。


各個人がいう「世間」という「社会の観測、把握範囲」は
枠数は同程度を維持するのに精一杯だけども、
観測範囲は結果的に全体から見れば狭い範囲に留まざると得ない、
みたいな。