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「1人で死ね」という導火線が目の前に伸びている事、私も含む「世間」は理解できるのだろうか。

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殺人未遂容疑で逮捕 元次官「迷惑かけてはいけないと思った」

2019年6月2日 12時09分
東京・練馬区の住宅で44歳の長男が包丁で刺されて死亡した事件で、逮捕された農林水産省の元事務次官の76歳の父親は「周囲に迷惑をかけてはいけないと思った」と話していることが、捜査関係者への取材でわかりました。事件の直前、近くの小学校の音がうるさいと腹を立てていた長男を父親がたしなめたことで口論になったということで、警視庁が詳しいいきさつを調べています。

Twitterに書いたのだけども、わざわざ「1人で死ね」なんて書く必要はないと思っている。
思うのはもちろん「ご自由にどうぞ」なのだけども。

私は単純に「自分も他人も殺さずでよろしく頼むわ」なのである。
偽善とかそういうのではなく「死ね」というより「俺は殺されたくないし、あんたも別に死ななくて良いでしょ」という。
もっとも無責任ではあるんだろうけど、しょうがないじゃない、そう思うのだから。


話を戻す。
冒頭にリンクした件の事件を見て「1人で死ね」は「事件や事故への導火線」だよなぁとぼんやり思ったのだった。

その「導火線」に火が付くかどうかは、また別の話だが。
いや、元々この世には「導火線」があちらこちらに伸ばされていて「導火線」を可視化した言葉の一つが「1人で死ね」なのかな。

そんな気がする。

そして、全ての人の目の前から「1人で死ね」の導火線が伸びている、という事なのだろう。
「その導火線は私からは伸びていない」と思う人は、恐らく確実に勘違いである、、、

私は2003年大学卒業で、社会が人を冷酷に扱う事に対して他人事ではない世代、なのだろう。
その意味でも「導火線」が自分から伸びている事に他の世代の方と比べれば自覚的であると思っている。
何度か「危なかったな、人生終わってたかもな」という分岐点はあったと思う。

導火線に火が点かないように、慎重に。
ひょっとして、それが人生。