閉鎖的なことへいらだちを感じる理由
http://d.hatena.ne.jp/babie/20060528/p1
なんとなくですが「不特定多数無限大の善意」を信用して
構築、運営されていると方向性的に「外部の人に決め付けられてる」
もしくは「そういうものに支えられてるんだろうと推測されてる」組織があるとして。
ところが、それらの組織が
考えていたよりも閉鎖的であるように「感じた」時は
誰にでも門戸が開かれていないことで、嫌な感じになる
ということなのかなと思ってます。
でも、初めから閉鎖的にしておけば、
後々嫌な人がいたら締め出すのも簡単という側面もあるので
リスク管理としては間違ってない方向性だと思います。
「不特定多数無限大の善意」以外に、
「不特定多数無限大の悪意」の存在も主張せないかんよね。
技術分野で「不特定多数無限大の善意」という概念があるのは
技術的なものへの理解がない人間は近寄りにくいという
「壁」があるから成立してるのがあるかな、と思ったこともあるので。
って、話がずれてるか?