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Ossanの研究所です。

解雇された俺と「i can change the world」の意思。

つい先日から、ニートだ。
その日「再ニート」と表現したのは、つい数ヶ月前に
仕事にありつけたのに、またその仕事からアブれたからだ。


今日は、今から大阪から東京へ向かって、
貫地谷しほりたんに会いにいく。
気まぐれでイベント整理券に入札したら、
俺が一番高値をつけていたんだ。


ニートのくせして「しほりたん!しほりたん!!」ってのは、
何とも都合が良くて、解雇のダメージも全く受けてないように見えるだろう。


実際、ちょっと解雇されてラッキー、と思っていなくもない。
解雇されるまでのこの数ヶ月間、行きたかったイベントは、
どれも仕事でことごとく行く事ができなかった。
日曜日も仕事に出るはめになるなんて、予想してなかったから。
それを考えれば、今の俺は壮大にハッピーな世界に足を踏み入れたのだ。


強がりはこの辺にしておく。


前回のニートは、俺の意思によるものだった。
こういう仕事がしたい、という意思にしたがって、
職を探し、面接を受け、落ち、を繰り返しても、
先へ進むのは私が持つ意志と希望があったからなのだが、
今回は純粋なる「突然の解雇」で、そこに意思がないだけ、
先へ進めるべき足取りは、まぁ、素敵なくらいに、重い。


今回思ったのは、よくメディアなんかで言われている、
「誰もが、いつ解雇されるかわからない時代」って奴を、
実際に自覚して生活してるなんて奴は少数で、
実際に突然解雇されて「あぁ、そういう時代なのね。」と、
黙って受け入れるしかないものなのだ、ということだ。


そもそも、普段は仕事に追われていて、解雇なんて考えやしない。


そして、もう一つ思ったのは、
誰かに雇われて、労働して、賃金を得る、ことが、
「稼ぎ」だと思っていたんだが、それは実のところ、
「稼ぎ」と呼んでよいものなのかどうか、俺の中では、
それは「不正解」なのではないか?という考えになったことだ。


「稼ぎ」じゃなくて「分配金」的なものだろう、と。
サラリーマンである以上、そういうことなんだろう、と思い至った。
私は組織から追い出されて「分配金」にありつけなくなった、
それだけの話なのではないか、と。「稼ぎ」ではなく。
何とも説明しにくいところなのだが。


あと、個人事業主やら、街でやってるお店とか、
サラリーマンより税金で良い思いしてるらしいよな〜、
とか思ってたんだが、それは、サラリーマンより、
いくらか取っているリスクが多いが故の自由が与えられているのだな、
と、思い至ったのも、この数日の話であったりする。


リスクを取らない分、搾取されてもおk、というつもりもないが。


とりあえず、俺は望まない形で、また、
人生の分岐点がやってきて、その片方の道に押し込まれてしまった。


俺は新たな人生を始めなくてはならない。


この世には同じ事の繰り返しに飽きて、新たな人生を望んでる人もいるだろう。
ドラマとか見てれば、そういう主人公が出てくる事があるからわかる。
実際、俺もそう思っていたこともありました。


困った事に、俺は新たな人生を始めなくてはならない。
今までとは、全く違う人生にしなければならない。
とりあえず、一から全部やり直し、に、ほぼ近いだろう。


結局「i can change the world」ってのは、
自分の人生を変えるということ、そういう意味なんだろう、
そう思ったのは、しほりたんに会いに行くために、
歯磨きをしていた、ついさっきのことだ。










世界は変わらない。




変えられるのは、自分の人生で。
自分の人生が、自分の生きる世界ならば。




「i can change the world」なのだ、と。




さて、出かけるとするか。