何色を掌から失っていて、何色が掌に戻り始めているのか、のように、何となく見つめた日
コロナで演劇も映画も一時(いっとき)失って、それが数ヶ月あっただけで、それが無くても良くなってしまう私がいる事を初めて知ったのが昨年の2020年。
なんだろう、私は、なんなんだろう。
そう思ってたり、去りゆく時間と日々に、本来は詰め込んでいたであろう思い出はすり抜けて、去りゆく時間が私に見せる前にそれら「あったはずの思い出」を溶け込ませて流していってしまったんだろう。
たくさんの思い出は、それまでのたくさんの時間の積み重ねで色がついてる、のだろう。積み重ねを手放したら、その日に着くはずだった色彩が、上手く乗らずにモノトーンに近づくのだろう。
時に色がなかった。でも、その事に気づくこともなかった。
なんか、久々に時がキラキラしていた。
舞台挨拶に立った、優希美青さんと小西桜子さんがキラキラしてた、から、だけじゃなくて、何かと再び溶け合っていくように、水分が飛んで固まってた絵の具に、水滴を落としたら混ざりあい始めたように、時の中に色が戻って。
美青さん、かっこ良かったな。
可愛いくて美しくて優しくて穏やかなだけの人じゃないのは知ってたけど、今日はかっこ良かった。
いや、前からかっこ良かったけど、それを色んな人の前で「ドンっ!」って感じで一歩を踏み出してやるような強さとか、そういうのは見せない人だった。
泣いた。彼女が泣いていた。
泣いた理由が私の心にも届いたような気がして、いつかの彼女との出会いの頃も思い出させて。
かっこいいな、弱さもさらけ出せる人になったなんて。なんて、かっこいい人なんだろう。
そう思ったら、俺も泣いてた。かっこいいな、すごいな、って泣いた。
道の端で、微妙に見えない窓ガラスの向こうの顔を見ながら、手を振ってたら。
なんか、懐かしいな。どっかで、いつだったか、あったよねこんな事。
心の中で湧き上がってきて、手を振る力が何か強くなってきて、また心の中で湧き上がってきて。
そっかー、美青さんも懐かしいなって思ってくれたんだ。
そうだね、色々あったね。これからもきっと色々あるよね。
いなくならないでくれて良かった。でもそれを決めるまでにたくさん美青さんは考えたんだろう。
全てをぶつけたなんて、美青さんは簡単に言わない人だよね。知ってる。いつも全力だから余計に言わない。
ああそっか、美青さんの掌に戻るべきものが戻ったことを、私が感じたから泣いたのか。
美青さんの掌からも、何かがすり抜けていってたんだよね、きっと。
多分、世の中の多くの人の掌から、何かが知らぬ間にすり抜けていったんだよね。そして今も。
美青さんの掌に、素敵な彩りの日々が戻りますように。
そして、私の掌にも、これから帰ってくるんだろう。
そうじゃなきゃ、やだなー。